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わさびの歴史
日本の食文化に欠かせない食材といえるわさびですが、
古くは飛鳥時代から利用されていたことが
わかっています。当時、わさびは薬草として
用いられていたこともうかがい知ることができます。
飛鳥時代
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奈良県明日香村の苑地(えんち)遺構から出土した木簡を調べていた奈良県立橿原考古学研究所は、「出土された木簡の長さは8~30cmほどで、わさびや薬草とみられる植物名や、庭園を管理する役所名などがかかれていた」と発表。庭園で野菜や薬草が栽培されていた可能性を示す発見で、単なる遊覧の場でなく、薬草園の性格を持っていた可能性が高まりました。右記は「委佐俾三升(わさびさんしょう)」とかかれており、わさびと記されたわが国最古の木簡で、わさびを保管した容器にくくりつけたラベルとみられます。
平安時代
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日本最古の薬草事典の『本草和名(ほんぞうわみょう)』に、「山葵」の記載があります。このことからも、わさびが薬草として用いられてきたことをうかがい知ることができます。また、日本最古の律令集の『延喜式』の中にはわさびが、「山薑」と記載され、京の都近くの若狭、越前、丹後、但馬、因幡の国々から、税として収められていたことがわかっています。『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも、「山葵」の記載があります。
江戸時代前期
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わさびが栽培されるようになったのは、江戸時代初期と言われています。美食家で当時としては長生きしたといわれる徳川家康に献上したところ、その風味を大変気に入り、わさびの葉が徳川家の葵の家紋に似ていることから門外不出にしたと言われています。慶長年間(1596-1615)には、安倍川上流有東木(うとうぎ:現在の静岡市)は望月六郎右衛門を長として開かれ、わさび栽培歴史の始まりと言い伝えられています。
江戸時代後期
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わさびが現在のように寿司の薬味として使われだしたのは江戸時代の文化・文政年間(1804-1830)の頃だと言われています。
わさびを付けた握り寿司が考案され、江戸の町でブームが巻き起こったことで庶民の間に広まっていきました。
当時は現代のように冷凍や冷蔵の設備がない時代。人々は、経験からわさびが食材の生臭みや細菌の増殖を抑えて食中毒の予防することを知って、活用していたと考えられています。
大正・昭和時代
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冷蔵技術や物流が発達してなかった大正初期に製茶の技術からヒントを得て、本わさびを乾燥、粉末にしたのが粉わさびの始まりでした。その後西洋わさびを原料とした粉わさびが開発され、昭和46年に練りわさび小袋タイプ、そして昭和48年に現在主流になっている本わさびを使った生おろしわさびへと発展してきました。
現代
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花わさびやきざみわさび等のわさび商品のラインアップが充実し、肉料理や和食以外の洋食などにも幅広く使われる様になってきました。また本わさびの健康機能に関する研究が進み「認知機能改善作用」「抗酸化作用」「血流改善」「美肌効果」などの健康・美容効果に注目した「健康食品」や「化粧品」が開発されました。